潜巖地蔵尊

潜巖地蔵尊



12世潜巖観機大和尚(せんがんかんき:宝歴5年(1755)1月24日示寂)は、深く地蔵尊を崇敬し、いつも袂にノミを持ち、自ら千体の地蔵菩薩を彫って当寺の南西に地に地蔵堂を建立し納めたとされています。
 伝説によれば、「ある日、寺が火災にみまわれた時、雄物川の渡しに何人もの黒衣の僧が来て対岸にわたり、各地にちらばっていった。この黒衣の僧こそが潜巖地蔵尊であり、今でもその時の火災で黒くすすけた姿のまま人々を護っている..。」
 当時、地蔵堂から自分の家に、この潜巖地蔵尊を持ってくるのが流行になったとも言われております。現在地蔵堂は何度かの火災により焼失してしまいましたが、この潜巖地蔵尊は当寺の一部檀信徒の家はもとより秋田県内、遠くは北海道にも広まっているようです。潜巖地蔵尊の背中には必ず、写真赤枠のように「宝蔵十二代潜巖百拜」などと書かれており、背中の字は多少の違いもありますが、必ず「潜巖百拜」の文字があるはずです。大きさは大小様々で、高さが50cmをこえるものから数cmのものまでいろいろあります。
 また、当寺22世雪渓祖心大和尚(せっけいそしん)も地蔵尊を彫りました。こちらも背中に「雪渓百拜」(後に天徳寺@秋田市の住職となったため天徳雪渓と書かれている場合が多い)等と書かれております。
 どちらの地蔵尊も古い時代のものですので、上写真のように表面が傷んでしまい、表面を塗料で上塗りして背中の字が分からないこともあるようです。その場合は、特に潜巖地蔵尊は、最上段の写真のように横から見ると前かがみになった微妙なバランス(?)でお立ちになっている姿が最大の特徴だと思います。
 毎月24日(3月~10月、9月のみ28日)には、潜巖地蔵尊を信仰する檀信徒の皆さんと地蔵講の法要を営んでおります。